リレー・エッセー「ナウ・レッツ・ビギン」

Now, let's begin!

仁生会の幹部が毎月リレー投稿しているエッセーです。

ナウ・レッツ・ビギン一覧

戦後77年、日本にも、とうとうこんな時が来た!(№381)

 日本は、つい最近まで本当に幸せだった、としばらく懐かしんだ後、考え始めよう。ウクライナへのロシアの侵攻をどう考えるかを真剣に。有事の概念も方法論もずっと忘れていた。
 これからまず、
・頭慣らし(予備教育:危機は本当か、有事とはどんな言葉があるのか)
・歴史の過去(近代)と現代を学び将来を想像する。
・個人の価値観と民族(国民)の価値観を考え、その関係性を考える。
 そのうえで、
・自立した国家でいたいなら、どうすべきか、
・従属した国家でよければ、どのように従属するか、どこまでの忍耐をするか、
を考えることとなる。

〔頭慣らしの言葉〕
❶核について
 核を持つ独裁国家が世界に3つも存在する。その3つすべてに囲まれているのは日本だけ(日本が一番危険)。
❷EUについて
 フィンランド、スウェーデンまでもがNATOに加盟しようとしている。フィンランドの首相は若干34歳。ドイツは、また強いドイツを目指し始めた(国民総生産額の2%を超えて軍備を整えると宣言、ロシアからのエネルギー輸入を中止するために25兆円の予算を2~3日で決断)。第2次世界大戦中、強いドイツにさんざんやられたヨーロッパ諸国がドイツを最も頼りにしている。
❸国連について
 国連は機能しない。常任理事国は非道なことはしないという枠組み、信頼感が崩壊した。
❹日本について
 日本はいつから考え始めるのか。日本の若者はいつから考え始めるのか。
❺日本の最大の弱点は
 食料自給率(サツマイモを国土のいたるところで栽培すればカロリーは確保できるという)とエネルギー(化石燃料、天然ガスはほとんどを輸入しており、原発は安全性、攻撃からの脆弱性が問題)
❻防衛力について
 自衛隊は憲法違反? 憲法違反のものをどうして使えるようにするのか。戦争になったら、どの程度持つのか(1週間? 3日という説もある。弾薬もあまりない)。日本を守る時は日本人が命を懸けて守らない限り、他国は応援してくれない。自衛隊が守れないときはどうするのか。日米安保は機能するのか。

(アナクロ)

新たに医師になられた皆さんへ(№380)

 今年も1年目の研修医が4名来てくれました。皆さん、医師国家試験合格おめでとうございます。これから研修に入るわけですが、よろしくお願いいたします。今は国家試験に合格した安堵感と今後への不安を少し感じているかもしれませんね。
 私の卒後1年目を振り返ってみますと、母校の医局に残ったこともあって右も左もよく知った先生方ばかりでした。実習での指導教官も何人もいましたし、気分的には楽でした。徐々に研修が進むにつれて学生時の実習と実践は全く別物だと思うようになったのをよく覚えています。病歴の取り方、視診・聴診・打診・触診の正しい仕方、得られた情報の整理、その情報が十分なのか? 何が足りないのか? どうすれば補充できるのか? 得られた情報を自分の中でどのように考えて結論を導き出せばよいのか? その結果をいかにして患者さんやご家族に説明するのか? できることもあればできないことも多かったです。しかし幸いなことに、良き先輩、コメディカルの方々、同級生に恵まれていたので、徐々に力がついてきたのを実感できた記憶があります。もちろん次のステップに行くたびに壁にぶつかることもよくありました。今振り返ってみて重要だなと思うことがいくつかあります。清潔な身だしなみ、好感を持たれる立ち居振る舞い、基本的な知識が身についていること、同僚(医師、コメディカル)、患者さん、ご家族とのコミュニケーション力、などです。これらは医師のみならず、一人の社会人としても求められると思います。他にも皆さんが重要だと思っていることがあると思いますので、いつでも気軽に伝授してあげてください。お互いに刺激しあいながら毎日を送れればうれしいです。
 医師としての力量を高めるのに近道はありません。一歩ずつ前に進みましょう。一緒に頑張りましょう、飲み会ができるのを期待しながら。

(ウクレレ・たぬき)

素人の、素人による、素人のための仏さま 第三章(№379)

 今年(2022年)のNHK大河ドラマは、鎌倉幕府が舞台となっていて、政治の実権が貴族(朝廷)から武士に移る時代の移り変わりが描かれるのではないかと思います。鎌倉時代は、それまで厳しい修行が必要だった仏教が一気に大衆化し、人々の中に広まり、日本人の文化、思想、芸術、生き方などに大きな影響を与えることになった鎌倉仏教が発展した時代です。平安時代末期から鎌倉時代初期は、保元・平治の乱や源平合戦など数多くの戦が繰り広げられ、天災、飢餓と相まって「末法の世」と考えられました。そのため、それ以前は鎮護国家の祈祷を主としていた僧侶(官僚僧)の身分から離れて民衆を救う仏法を求めた法然を祖とする浄土宗をはじめ浄土系四宗(浄土宗・浄土真宗・時宗・融通念仏宗)が登場し、一気に大衆化しました。また、座禅を特徴とする禅宗(栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗)が武士の間で人気を得ました。禅宗は、栄西、道元が中国(当時の宋)に渡って学んできたもので、座禅だけでなく日常のあらゆる作法の修行が厳しいとされています。禅は、インドから達磨(あの縁起物の「だるま」のモデル)によって中国に伝わり、唐と宋の時代に最盛期を迎えていました。
 さて、鎌倉の仏像といえば最も有名なのは、建物の中に安置されていない鎌倉大仏ではないかと思います。この大仏は、浄土宗の仏教寺院 高徳院の本尊である阿弥陀如来坐像で、創建当初はお堂の中に収められていたようですが、大風や地震により損壊し、大仏自体も荒廃が進み、江戸時代に復興されています。この大仏の作者は不明ですが、「慶派」と呼ばれる運慶、それに連なる仏師たちの作風と中国宋代の仏師達からの影響の双方を併せ持つ、いかにも鎌倉期らしい仏像といわれています(高徳院ホームページより)。その運慶や快慶は、鎌倉時代の仏像彫刻を代表する仏師で、奈良東大寺南大門の両脇でにらみをきかしている「阿形」と「吽形」の仁王(=金剛力士)像が有名です(以前書きましたが、仁王は仏教世界のガードマン的存在とイメージされる「天」の階級に属する仏様とされています)。鎌倉時代の仏師とはいっても、鎌倉の地における仏師というわけではなく、奈良東大寺の復興や興福寺、静岡、横須賀の寺院などの造仏をしており、さらに全国の多くの寺院には彼らの作とされる(その真偽が不明なものも多数)仏像があるようです。快慶は、若いころは当時の朝廷の権力者だった後白河法皇に気に入られ、多大の支援を受けていたとのことです。大河ドラマでは、多分ここら辺のからみは描かれないでしょうけれど、ドラマを見る時に何かしら参考になれば幸いです。
 To be continued !

(神仏習合)

コロナの記憶(№378)

 コロナの波に2年間もまれ続け、いつになったら収まるのだろうと不安が覆います。ただ、ワクチンや治療薬の開発、普及が進み、心の中の景色は以前とはいささか違うように映ります。歓迎すべき変化なのでしょうが、気がかりな面もあります。こうやって緊張と弛緩を繰り返すうちに、忘れてはならない話も一緒に記憶の奥底に追いやってしまうことにならないだろうか。
 大正時代の半ばに世界中で大流行し、日本国内だけで約40万人が亡くなったいわゆるスペイン風邪を思い起こすと、継承することの難しさを痛感します。今回のコロナ禍まで、約100年前のこの災厄が一般の人の関心を集めることは、ほとんどなかったと言ってもいいでしょう。スペイン風邪の場合、人の脳裏に焼きつくような写真や映像も乏しいし、流行の始まりや終わりがいつなのか判然とせず、節目となる日も定め難いです。パンデミックは、戦争や地震などに比べても、後世に伝えるのが難しい性質をもつ出来事といえます。
 もちろん図書館や博物館には、当時を語る資料が保存されています。多くの文人が経験を書き残したし、新聞報道もありました。でもそうした記録だけでは、ただちに継承につながらないと福間良明・立命館大教授(歴史社会学)は指摘しています。
 「人々の間に『記憶』として定着していくためには、ばらばらで膨大な記録から切り口を探り当て、議論を重ねなければなりません。どんな議論になるかは、人々の意識や社会の状況次第。コロナ禍の記憶もこれから作られるのです。」
 現実はどうでしょうか。コロナ禍に翻弄され、非日常が日常になる中、その時々に考えたことや抱いた思いが、一人ひとりの中からこぼれ落ちていってはいないでしょうか。少しでいい、立ち止まり、この2年間のあれこれを拾い集め、考える時間を持ってはどうでしょうか。自分が得たもの、失ったものは何で、次代に伝えなければならないことは何か。人それぞれに異なるでしょう。その物語を重ね合わせていくことが、コロナ禍で傷ついた社会を編み直すための糧になるような気がします。

(makonda)

寅年の新年を迎えるに当たって(№377)

 急速にコロナ感染レベルが低下して行動基準が緩和された昨年11月半ばに、本州四国連絡高速道路主催の瀬戸大橋塔頂体験ツアーが再開されたのを機に参加しました。瀬戸大橋の中央に位置する与島SAにある管理事務所を、指示に従い、ヘルメット、イヤホン、ベスト、手袋、マスクで身を固めて出発し、徒歩で途中の遊歩道で巨大な瀬戸大橋の威容を眺めた後、吊橋を懸垂するケーブルの断面を刻んだ実寸大の模型像に立ち寄りました。直径5mmのワイヤー127本からなる1本のストランドを271本束ねて、径1mの1本のケーブルができあがります。そこを過ぎると多数のケーブルを地上で支える巨大なアンカレイジ(橋台)に到達します。構内に入ると、担当者1名が付き添い、参加者3人の計4人1組で高さ150mにあるアンカレイジ最上部にエレベーターで達し、高速道路の直下にあるマリンライナーが通る線路の外側に設置された保守点検用通路に出て、海風を受けながら足下に瀬戸内海の海面を見て進みます。橋脚主塔に水平移動した後、さらにエレベーターで海上175mにある左右主塔を結ぶブリッジ即ち塔頂に到着しました。
 南を向けば坂出から真直ぐに伸びる南備讃大橋、北備讃大橋の2つの大きな吊橋が、車が行きかう高速道と共に眼下に一直線に見下ろせます。振り返って北の鷲羽山のある児島側を見ると、櫃石島、岩黒島を伝ってしなるように曲線を描く斜張橋と高速道路を目にすることができました。午後からの晴天に恵まれ、美しい青い空と瀬戸内海とその島々が点在する周囲の風景を塔頂の視点から360℃俯瞰することができた貴重な体験でした。技術者出身のガイドの方から,実際の工事の工法から、橋脚を支える橋梁技術の工夫についての説明を受けました。耐荷重、耐風力、耐震、電波・レーダー対策など安全を期して数倍のマージンを取って実験と計算を繰り返して建設されたそうです。また、瀬戸大橋は、上部が高速道路、下部が鉄道橋の2重の構造となっており,現在の鉄道橋に並んで新幹線用のスペースも実は確保されています。瀬戸大橋の開通は1988年で、すでに33年が経過していますが、当時は日本経済の絶頂期にあたり、その時点の最先端の橋梁建設技術が投入され、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と呼ばれた時代の日本の国力を背景とした、関係者の情熱と努力に頭が下がりました。
 昨年は、新型コロナの全国的な蔓延で、地元での自粛生活が専らでしたが、身近な四国の中に訪れるべき場所や歴史がたくさんあることを逆に教えてもらった1年でした。科学立国のはずが経済優先を連呼し、防疫を疎かにして、結果的にコロナウィルスの全国的な蔓延を招き寄せたグローバリゼーションやインバウンド重視の思考を改め、科学に立脚した合理的で迅速なコロナ感染対策を行いつつ、地元中心の地方活性化の必要性を強く感じます。年頭に当たり、本年がコロナウィルス感染の終息を迎える端緒となるよう願う次第です。

(一県民)

» 続きを読む