ナウ・レッツ・ビギン

Now, let's begin!

仁生会の幹部職員が毎月リレー投稿しているエッセーです。

ナウ・レッツ・ビギン一覧

平成最後の年の瀬ですね(№339)

 細木病院グループの職員の皆様、こんにちは。もうすぐ年の瀬が来ますが、今年は、どんな年でしたでしょうか?
 運が良かった人、悪かった人・・・人には、色々の人生があります。巡り合わせが良かったと思っていても、そうでもなかった人、何となく付いていなかったと思っていたけれども、今になったら良かったなあと思うことが多かったと思える人、等々、色々の出来事の結果が年末ですねえ。
 考えてみますと、人生全て「塞翁が馬」の気がします。運命が巡り巡って、その人の人生が決まって行くのですね。長い人生の中で、ほんの些細な出会い、すれ違いによって、その人の一生が決まる気がしています。具合が悪くなった時、夜中だったにもかかわらず、偶然、専門医のいる病院が引き受けてくれたり、すごく幸運が付いて回る人もいれば、どうしてこんなにタイミングの悪い場所や時間に病気になったの?と思われる方もいらっしゃいます。
 職員の皆様は、あらゆる病気の方々に直接、或いは、間接に携わる、やりがいのある仕事なのです。必要とされて、感謝される仕事では、医療が最も崇高な職業のように思います。仕事は、奉仕ではありませんが、どんなにしんどい仕事でも、心からの「有難う」の言葉がすべての疲れを癒し、気持ち良い満足感に繋がる様に思います。
 笑顔や声掛け、勿論技術面でも、今年の自分より、新しい年の自分が、少しでも輝く年であります様に。今年も一年、大変お疲れ様でした。迎える新年が、職員の皆様にとって幸多からんことを心から祈っております。

(ナズトラビ)

世界のクリスマス(№338)

 クリスマスはもともとキリスト教のお祭りですが、世界中に広がるにしたがって国ごとにさまざまな習慣が生まれました。
 レバノンでは、クリスマスツリーは飾りません。代わりにクリスマスの2週間前に、レンズ豆やヒヨコ豆、小麦などを植えます。するとクリスマス当日までには芽が出るので、この芽を飾ってお祝いをするそうです。これはキリストの復活を象徴しているのだそうです。
 メキシコでは、マリア受胎を祝うため、 12月16日から25日にかけての9日間をお祝いします。子どもたちは、ピニャータと呼ばれる派手に飾り付けされたくす玉を割ります。すると中からはお菓子がたくさん!子どもたちにとってのクリスマスの楽しみとなっているそうです。
 アイスランドには、クリスマスまでの13日間、毎日家を訪れる13人のトロールがいると言われています。その日一日いい子にしていると小さなプレゼントを置いていってくれますが、悪い子だと腐ったジャガイモを置いていくそうです。サンタさんは1日しか来ませんが、13日も来ると考えればちょっとお得かも?
 ニュージーランドは南半球にあるため、クリスマスの時期は夏真っ盛り。ビーチに行ったりキャンプをして、外で過ごすことが多いようです。そしてクリスマスのごちそうは、アウトドアの定番バーベキュー。
 世界から不思議だと思われている日本のクリスマス習慣、それはケンタッキーフライドチキンを食べること。日本には欧米の家庭のようにローストチキンを一羽丸ごと焼けるようなオーブンがなかったところに目をつけ、ケンタッキーが大々的なキャンペーンを行い根付かせた文化だと言われています。アメリカなどの感覚からすると、大事なクリスマスのお祝いにファストフードを食べるなんて!ということなのでしょうが、ケンタッキーがクリスマスに食べられるようになってから早40年以上。もはや立派な伝統になったと言っても過言ではないでしょう。

(makonda)

雪舟の再発見!(№337)

 雪舟にまつわる次の逸話はあまりにも有名です。小僧の頃絵ばかり描いているのを咎められ、和尚さんに懲らしめのため柱に縛られてしまい、夕刻に心配した和尚さんが様子を見に行くと、縛られた雪舟の前の廊下の床に生きたねずみがいるではありませんか。しかし、それは実は雪舟が涙で床に描いた絵だったという言い伝えです。
 昨年秋に78年間行方不明であった雪舟の「倣夏珪山水図(ほうかけいさんすいず)」という団扇の形をした雪舟の真筆の絵が見つかり山口県立美術館で記念の展示会が開かれるという報道がありました。また、それに先立って、京都国立博物館で国宝展が開かれることを知りました。出品は多岐にわたり、縄文時代の土偶や火焔型深鉢土器、俵屋宗達の風神雷神図屏風、尾形光琳の杜若図屏風、漢委奴国王印などのいくつもの国宝と並んで目玉の一つが雪舟の水墨画(全て国宝)6点が揃うとの触れ込みでした。そこで私は、にわかに雪舟に興味を持ち、京都へ行って水墨画6点を実際に目にすることができました。しかし惜しむらくは、その中の四季山水図巻(山水長巻)は広げると実に17mに及ぶ大作の絵巻物でスペースの関係で全部が開かれておらず、半分の春と夏の部分しか見ることができませんでした。それが心残りで、後日、山口県立美術館に今回再発見された水墨画を見に行く際に、防府市にある本来の所蔵先である毛利美術館にも立ち寄り、京都から展示期間を終えて戻っているはずの山水図長巻の残りの秋・冬の部分を見ることを思い立ちました。実際に訪れて目にした長巻図の全長は、岩や崖の線を迷い無く描く荒々しく鋭いタッチ、それを駆使して切り取った長閑な春から厳しい冬へと移り変わる静謐な四季の風景、わずかな筆さばきにこめられた今にもヒトの息吹を感じさせる小さくてユーモラスな人物像、さらに水墨画なのに実際には緑の彩色が施されているという新しい発見もありました。
 雪舟は作庭家としても知られ、京都東福寺(臨済宗東福寺派総本山)そばの芬陀院にある枯山水庭園を請われて作ったことでも有名です。それを賞して一寺を造って賜るとの時の九条関白の申し出を断り、周防大内氏の後援を得て遣明船で明に渡りその当時の中国の最先端の夏珪を始めとした水墨画の泰斗の画風を学んで帰国し、その画業を極めたそうです。京都で展示されていた国宝の水墨画はいずれも帰朝後の作品で、雪舟禅師のひたむきなその生涯に清清しい感動を憶えました。

(一観覧者)

「忖度(そんたく)」で思うこと(№336)

 「忖度」は古くからある言葉で、中国の古典「詩経」や日本でも平安時代の「菅家後集」に見られます。
 本来「忖度」の意味は「他人の気持ちを推し量る」ことで、それによる行動までは含まれません。従って良いも悪いもなく中立的な言葉です。人間社会においては相手の気持ちを推し量るというのは当然のことです。その結果どのような行動をとるかが問題であって、「良い忖度」にも、「悪い忖度」にもなります。
 昨年、「森友・加計」問題で「忖度」が行われたと連日メディアに取り上げられ、ついに流行語大賞にも選ばれました。その結果「忖度」イコール「上役などの意向を推測して、相手に気に入られようと不適切な行いをすること」など、「忖度」はすっかり悪い意味になってしまいました。「悪い忖度」が今流行するのは、社会の許容範囲を逸脱し、デッドラインに達したという赤信号かもしれません。
 一方、最近話題のAI(人工知能)は忖度をしないと言われています。
 先頃、中国のIT企業テンセントのAIキャラクターが共産党を批判して話題になりました。「中国共産党万歳」と検索すると「こんなに腐敗している政治に万歳するの?」と反論したり、「中国の夢」に対して「それはアメリカに移住することだ」と回答したと報道され、これがネットで一気に拡散したため、テンセントはサービスを停止。その後、システムに調整が加えられ、同じ質問をしても「話題を変えよう」などと、はぐらかすようになったそうです。テンセントが中国共産党に「忖度」して、AIに「忖度」?をさせるようにしたことになります。
 最近のAIは深層学習(ディ-プラーニング)の機能の進化が著しく、囲碁AIが人間の世界チャンピオンを負かすまでになりました。つまりビッグデータをもとに指示がなくても自己学習して、多方面で人間以上の能力を発揮できるようになる可能性があります。今はAI自ら「忖度」はできなくても、将来人間らしさを学習した、人間の常識や、感情、倫理観を備えたAIが出てくるとなると、その時は、AIは人間と同じように自ら「忖度」したり、「故意の嘘」をつくようになるかもしれません。人間がAIに忖度する時代が来るかもしれません。
 我々はいつの時代でも、「良い忖度」をするよう心掛けたいものです。

(だだんだん)

ペットとの別離(№335)

 最近、17年間を一緒に過ごした室内犬を看取った。生前、「何故、我が家の犬はこんなに可愛いのだろうか?」といつも不思議に思っていた。しかし、人類が誕生してからずっと、犬は人類のそばにいた歴史を見ても、犬ほど忠実で忠誠心の強い賢明な動物はいないことを考えると当然だろうか? いつも黙ってそばに座り、主人に異変があると即、対応し、くつろいでいることがわかると体を摺り寄せてきて体温の温かみを伝え、本当にほのぼのとした気持ちになった。彼は10歳頃から完璧に「人語」と「犬語」で会話をするようになっており、年を取るごとに眼は白内障になったり、歯が抜けたりしても、寡黙で我々に極めて忠実な「執事」の立場を保持していた。室内飼育であったから余計に一体感があり、ベッドに入る時も起床する時も一緒であることは、全く家族と同じであり、彼自身は私共の子供や孫と同格と考えているとしか思えない行動を見た。そして出勤時の見送り、そして帰宅時の出迎え、風呂、トイレでは何故かじっとドアの外で待っており、出ると代わりに入り、鼻をかいだり、風呂の水を飲むなど全く信じられない毎日の光景であった。隣近所の人はいつも彼に向かって、『お前はここにもらわれて本当に幸せだね』と言われていた。
 このような「執事」がこの世からいなくなったことは、寿命とはいえ、その別離は特別にこたえた。我々人間は、愛するものを失う辛さや別離の悲しみを知ることによって、人が忘れてはいけない他人に対する愛情や家族の温かみを思い知らされる。また、この度の大雨災害によって多くの人々が被災されたが、忠犬たちはどうしているのだろうかとつくづく思う。さらに将来、少子高齢化の家族が少なくなっていく中で、家族同様の「執事」の存在は、死ぬまで最高の伴侶となりうる気持ちを掻き立てられた。我が家族は、可愛い犬から受けたこの上ない愛が余りにも大きかったとつくづく想い出し、いつまでも忘れることはない。

(チュウ)

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